100歳 幸福は何げない光景の中に(朝日新聞記事より)


2023年11月9日朝日新聞記事より

100歳 幸福は何げない光景の中に

―作家・佐藤愛子さん「思い出の屑籠」あす刊行―




記事は朝日新聞をご覧ください。


「記事関連のエピソード」

最初の夫は、大日本帝国陸軍の軍人であった。岐阜県恵那市の病院の子息である。佐藤愛子とは見合い結婚し、長野県伊那市で新婚生活を送ることになった。そこには、陸軍の伊那秘匿飛行場があり、夫はその経理将校だった。

終戦後、夫の実家である恵那市の病院で夫婦は生活をともにするが、夫はその時、モルヒネ中毒に苦しんでいた。軍隊生活で腹痛に見舞われ、軍医に処方されたのがそのモルヒネであった。

夫婦は、千葉県の片田舎で開拓農家となるも、夫は、モルヒネ中毒から立ち直る気配を見せなかった。佐藤愛子はやむなく夫のもとを去る。その後、愛子に、夫の訃報が届く。

2番目の夫は、筆名田畑麦彦で知られている。新人賞作家であった。夫は、教材販売の会社を立ち上げ、実業家となった。だが、特殊ともいえるその金銭感覚が災いし、多額の借金を抱えてしまう。

借金が、妻の愛子に及ばないようにと、夫は妻に、偽装離婚を持ちかけた。それを信じて離婚に応じた愛子だったが、夫は、以前からつき合いのあった、銀座で飲食店を経営する女性と籍を入れてしまう。

まんまと騙された格好だ。それでも、佐藤愛子は、元夫の借金を返済するために、全国のTV局のワイドショーに出演しながら、その合間には原稿を執筆して、馬車馬のように働いた。そのことを短編小説に綴ったら、思いがけず、直木賞を受賞してしまう。

本当は、佐藤愛子は、北杜夫の「楡家の人びと」のように、一族の系譜を長編私小説に仕立て上げて、華々しく、芥川賞を受賞することを夢見ていたのである。

実は、佐藤愛子が西宮市で子ども時代を送っていたとき、幼馴染の中に、後の森繁久彌がいた。そこには、佐藤愛子の父親で、少年少女向けの大衆小説で名声を博した、佐藤紅緑の建てた、豪邸があった。

敷地は、概算でざっと600坪。立派な生垣に囲まれ、正面には、石造りの門柱があった。そこは現在、大阪ガスの独身寮となっている。その生垣と門柱であるが、今も、独身寮の外構として使われている。夏になると、風に乗って、甲子園球場の歓声も聞こえてくる立地である。

作家佐藤愛子の幼年期は、絵に描いたような幸福感に包まれていた。末娘の愛子は、父紅緑にとっては、目に入れても痛くない存在であった。佐藤愛子も、そんな父親を心から慕っていた。

(事務局|正倉一文)



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